「魂のピアニスト」フジコ・ヘミングさん死去 障害に負けないアーティストたちの輝き

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4月21日、心を揺さぶる演奏で人気を集め、「魂のピアニスト」と呼ばれたフジコ・ヘミング(本名:ゲオルギー・ヘミング・イングリット・フジコ)さんが亡くなりました。92歳。ベルリン生まれ。葬儀は近親者で営まれました。フジコ・ヘミングさんは聴覚障害を持っていたことが知られています。音楽の演奏を生業とするピアニストにとって、耳に障害を持つことは致命的なハンデになったろうと想像します。が、世の中にはいろいろな障害を抱えながらそれを克服し、優れた才能とすばらしい成果を私たちに見せてくれる芸術家がいます。フジコ・ヘミングさんも間違いなくその一人でした。他にはどんなアーティストがいるのでしょうか。調べてみました。

フジコ・ヘミングさんのプロフィール

フジコ・ヘミング

基本情報

略歴[編集]

幼少時代[編集]

ヴァイマル共和政下のドイツ、ベルリンで生まれる。スウェーデン国籍。

5歳で日本に移住。父は日本に馴染めず、家族3人を残し一人スウェーデンに帰国。以来、母と弟と共に東京の渋谷隠田で暮らし、5歳から母・投網子の手ほどきでピアノを始める。

10歳から、父の友人であり、ドイツで母がピアノを師事したロシア生まれのドイツ系ピアニストレオニード・クロイツァーに師事。以後、藝大在学時を含め、長年クロイツァーの薫陶を受ける。

学生時代[編集]

青山学院緑岡尋常小学校(現:青山学院初等部)3年生の時にNHKラジオに生出演。

1945年2月、家族と共に岡山県総社市日羽に疎開。同年4月、岡山県の高等女学校に入学。そのまま学徒動員される。

終戦後、青山学院高等女学部(現:青山学院中等部)に転校。青山高女5年修了で、新制:青山学院高等部3年に進級。高等部在学中、17歳で、デビューコンサート。

東京藝術大学音楽学部在学中、1953年、新人音楽家の登竜門である第22回NHK毎日コンクール(現日本音楽コンクール)に入選。翌年には第2位入賞。さらに文化放送音楽賞など多数の賞を受賞。藝大卒業後、本格的な音楽活動に入り、日本フィルハーモニー交響楽団など多数のオーケストラと共演。

国立ベルリン音楽大学へ留学[編集]

1961年に、駐日ドイツ大使の助力により、赤十字に認定された難民として国立ベルリン音楽大学(現:ベルリン芸術大学)へ留学。

卒業後、ヨーロッパに残って各地で音楽活動を行うも、生活面では母からのわずかな仕送りと奨学金で何とか凌いでいたという、大変貧しく苦しい状況が長く続いた。

ヨーロッパでのピアニスト時代[編集]

ウィーンでは後見人でもあったパウル・バドゥラ=スコダに師事。また、作曲家・指揮者のブルーノ・マデルナに才能を認められ、ソリストとして契約した。しかしリサイタル直前に風邪をこじらせ、聴力を失うというアクシデントに見舞われた。

既に16歳の頃、中耳炎の悪化により右耳の聴力を失っていたが、この時に左耳の聴力も失ってしまい、演奏家としてのキャリアを一時中断。失意の中、ストックホルムに移住。耳の治療の傍ら、音楽学校の教師の資格を得て、以後はピアノ教師をしながら欧州各地でコンサート活動を続ける。現在、左耳は40%回復しているという。

日本への帰国後[編集]

母の死後、1995年に日本へ帰国し、母校東京藝術大学の旧奏楽堂などでコンサート活動を行う。

1999年2月11日にNHKのドキュメント番組『ETV特集』「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」が放映、反響を呼び、ブームが起こった。その後発売されたデビューCD『奇蹟のカンパネラ』は、発売後3ヶ月で30万枚のセールスを記録、日本のクラシック界では異例の大ヒットとなった。

やがて、1999年10月15日の東京オペラシティコンサートホールでの復活リサイタルを皮切りに音楽活動を再開。

晩年[編集]

2013年に自身のCDレーベル「ダギーレーベル」を発足。アルバム第1作「フジコヘミング スペインカメラータ21オーケストラ」を国内外でリリース。

死去[編集]

2024年4月21日、膵臓がんのため死去。92歳没。

障害を持つアーティストたち

フジコ・ヘミングさんのように、音楽家で聴覚障害を持つなど、ハンデを克服して活躍する(した)芸術家について、調べてみました。小学校や中学校の音楽の時間に習う「楽聖」ベートーヴェンが「難聴だった」ことは有名ですよね。

ベートーヴェン

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン: Ludwig van Beethoven、標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフンに近い、1770年12月16日頃 – 1827年3月26日)は、ドイツ作曲家ピアニスト。音楽史において極めて重要な作曲家の一人であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆とされ、後世の音楽家たちに多大な影響を与えた。

引用元:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン – Wikipedia

20代後半頃より持病の難聴(原因については諸説あり、鉛中毒説が通説)が徐々に悪化。28歳の頃には最高度難聴者となる。音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたためて自殺も考えた。しかし、彼自身の芸術(音楽)への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、ふたたび生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいくことになる。

引用元:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン – Wikipedia

慶應義塾大学名誉教授であり慶應医師会会長の任にある小川郁(おがわかおる、1955年5月14日 – )氏が、2018年、慶應義塾大学メディアセンターの機関誌『MediaNet』№25に寄せた稿からの引用を次に。

MediaNet No.25(2018.10)Tea Room

「芸術家と聴覚障害」小川郁(おがわかおる:慶應義塾大学医学部教授)

難聴や耳鳴りの診療を行なっていると音楽家の聴覚障害に遭遇することが多い。例えば左耳の近くで楽器を奏でるバイオリニストは左耳の難聴を呈することが多い。自分の耳で音程を確認しながら演奏する音楽家にとっては深刻な問題であり,その対応には苦慮することが少なくない。音を聞く耳にとって楽器による強大音は凶器でもあり,一旦生じた音響性難聴は不可逆的障害となり治癒は困難となる。
音楽家で難聴というと多くの方がベートーヴェンを思い浮かべるのではないかと思う。ベートーヴェンは1770年,ボンで生まれ,ハイドンらに師事した後,22歳の時にウィーンで音楽活動を開始した。20歳代後半から難聴が徐々に悪化,28歳の頃には高度難聴となった。音楽家として聴力を失うという絶望感から,1802年に「ハイリゲンシュタットの遺書」を書き残し自殺も考えたが,音楽への強い情熱から新たな創作活動を進め,30歳代で「英雄」,「運命」,「田園」などの中期を代表する名作を次々と発表した。

引用元:https://www2.lib.keio.ac.jp/publication/medianet/article/pdf/02500200.pdf


小川氏は耳鼻咽喉科がご専門。やはりベートーヴェンの名前を挙げておられます。

スメタナ

ベドルジハ・スメタナ(またはベドジフ・スメタナ ベトルジヒ・スメタナ、チェコ語Bedřich Smetana [ˈbɛdr̝ɪx ˈsmɛtana] 、1824年3月2日 – 1884年5月12日)は、チェコ作曲家指揮者ピアニストドイツ語名のフリードリヒ・スメタナ (Friedrich Smetana)でも知られる。

引用元:ベドルジハ・スメタナ – Wikipedia

中学生の時、音楽の時間に『モルダウ』を習いました。この人も50歳のときに中途失聴者となっています。

大音響に耳をさらす職業だからでしょうか。現代でも音楽や音響関係の仕事をする人で、難聴や失聴を訴える人が時々いるようです。

音楽家だけではありません。

ゴッホ

フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ[注釈 1]オランダ語: Vincent Willem van Gogh、1853年3月30日 – 1890年7月29日)は、オランダポスト印象派画家

主要作品の多くは1886年以降のフランス居住時代、特にアルル時代(1888年 – 1889年5月)とサン=レミでの療養時代(1889年5月 – 1890年5月)に制作された。感情の率直な表現、大胆な色使いで知られ、ポスト印象派を代表する画家である[2]フォーヴィスムドイツ表現主義など、20世紀の美術にも大きな影響を及ぼした。

引用元:フィンセント・ファン・ゴッホ – Wikipedia

『ひまわり』他で有名な画家ゴッホは色覚異常を持っていたという説があります。

ターナー

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(Joseph Mallord William Turner、1775年4月23日 – 1851年12月19日)は、19世紀のイギリスロマン主義を代表する画家である。

引用元:ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー – Wikipedia

イギリスの画家、私も好きな「光の画家」ターナーも色覚異常があったという説があるそうです。

まとめ

ピアニスト・フジコ・ヘミングさんが亡くなりました。92歳といえば天寿を全うされたと言って良いのではないかと思います。若い頃に聴力を失い、その後復調するも完治にはほど遠く、それでも生涯ピアノに向かい続けた生涯は、私たちの胸に強く響きます。

「魂のピアニスト」フジコ・ヘミングさん。その「魂」に永遠の安らぎがありますように。
ご冥福を祈ります。

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