7月31日(水)AERA dot.により「小学校で「夏休みの宿題」が減った」それどころか「宿題もテストも通知表も廃止した学校がある」という内容の記事が、下のように配信されました。相当昔に「小学生」で、「通知表」「宿題(絵日記、読書感想文、自由研究、工作など含む)」「ラジオ体操」などに苦しんだ私にとっては、巨大な衝撃でしたが、現役の小学生にとって、これは果たして喜ぶべきニュースとなるのでしょうか。「夏休み」に意義はあるのか、「宿題」は必要か不要かなどについて考えてみました。
記事より
こんな記事でした。
小学生の「夏休みの宿題」が減った理由 宿題もテストも通知表も“全廃”した学校に起きた「変化」
昨今、この夏休みの宿題に“異変”が起きている。漢字・計算ドリルや読書感想文などを一律で課す宿題からの脱却をはかろうと、改革を進める学校が出はじめ、なかには宿題自体を廃止した学校もある。
7月上旬、現役小学校教員によるものとみられるXのポストが3500回以上リツイートされた。その内容は、「私の勤務校、今年から、働き方改革のため夏休みの宿題なしになりました! 夏休み帳も感想文も作品募集もなし! その他細々したものもなし! 自学したい人はしてきてください、という感じ」というもの。この投稿へのコメントには、「宿題がないとゲーム漬けになりそう」「勉強する子としない子の学力に差が出るのでは?」といった不安の声が上がった一方で、「やらされてやる勉強は身に付かない」「どうせ親が手伝っているのだから意味がない」などと宿題廃止を好意的に受け止める声も数多く見られた。
近年、教育界では「子どもの自主的な学び」を重視しようとする風潮があるが、東京23区で小学校高学年の娘を持つ40代の保護者もこう実感している。 「娘の小学校では、実質、夏休みの宿題は『自由研究』だけ。読書感想文やドリル系の宿題は一切なく、自主学習したものがあればそれをノートに貼って提出してください、と言われただけでした。先生も『塾の宿題などで忙しいでしょうから、学校からはあまり課題は出しません』とおっしゃっていて、時代の流れなのかなと感じました」
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/a465a3fe5c149d0075694a73ff39ffb7fc8b86c9
夏休みの宿題はいつ始まった?
夏休みの始まり
そもそも、「夏休み」は、いつ、どのようにして始まったのでしょうか。
日本の学校制度は、1872(明治5)年、いわゆる「学制」から始まります。ここから太平洋戦争終結後6・3・3(4)制が確立するまで、学校制度はくるくる変わるのですが、「夏休み」に関しては、1881(明治14)年に制定された小学校教則綱領に「夏季冬季休業日」が規定されたのが始まりです。
実はこの頃から、夏休みの必要の有無が議論されていました。必要とする意見は、(1)暑さによる子どもへの影響、(2)教員の研修期間の確保などを主張し、一方不要とする意見は、(1)休暇中に子どもの生活習慣が乱れる恐れがあること、(2)授業が行われず学習が滞ることなどを主張しました。
夏休みの宿題の始まり
1900年代になり、学校から子どもに対して、夏休みの過ごし方の「心得」が出されるようになりました。例えば、生活面では、「起床・就寝の時間を決めて守りなさい」「みだりに川遊びをしてはいけません」など、学習面では「毎日時間を決めて朝に国語や算数の復習をしなさい」「日誌をつけなさい」「図画や書写の稽古を行いなさい」などと、現代にも通じる「宿題」が指示されるようになっています。
夏休みの宿題が普及したのは、現代でもおそらく多くの学校で言われているように、休み中に生活習慣が崩れるのを防ぐという目的があったものと思われます。
また、1891(明治24)年に進級試験が廃止され、頑張らないと進級できないというプレッシャーを与えることができなくなったことも理由の一つでしょう。
1880(明治13)年以降、進学率も高まり、学校に通うのが当たり前という社会的な雰囲気が次第に醸成されていきました。学習意欲の有無に関わりなく、子どもたちには勉強させなければならないというような全社会的な雰囲気が学校を取り巻くようになったのです。
このように見ると、「夏休みの宿題」は、夏の暑さの中、子どもたちの登校は免除する一方、それによって生活が乱れ、学力が低下することを防ぐことを目的に、一定の学習をある程度強制的に課すために創出されたものと言って良いでしょう。
夏休みや「宿題」は必要か?
夏休みの宿題が、このような経緯で生まれてきたものだとすれば、その目的に照らして、いくつか考えなければならないことがあります。
夏休みは必要か?
地球温暖化の影響でしょうか。今年も連日暑い日が続いています。
地域や学校、いろいろな事情にもよるでしょうが、近年、施設内にエアコンを設置する学校が増えてきたように思います。2022年9月28日。少し古いですが、つぎのような記事がありました。
公立小中学校のエアコン設置率、教室は95・7%・体育館は11・9%
全国公立小中学校の普通教室のエアコン(冷房)設置率が9月1日現在、95・7%に上ったことが28日、文部科学省の調査でわかった。前回調査した2020年9月時点より2・9ポイント上昇した。
一方、音楽室や理科室など特別教室は前回比5・9ポイント増の61・4%、武道場などを含めた体育館は同6・6ポイント増の11・9%だった。
引用元:https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20220928-OYT1T50180/
エアコンで室温などを調節できるのであれば、「暑さを避けるために子どもたちの登校を免除する」という目的は、その前提が崩れてしまいます。むしろエアコンのない家庭もあるでしょうから、学校の方が快適に学習できるという児童生徒などもいるのではないでしょうか。夏休み中、エアコンの効いた図書館や予備校の自習室が混雑するというような話を聞く限り、学校の施設全部とは言いませんが、空調を施した教室の一部を開放するくらいのことは考えられても良いと思います。
また、「暑さを避ける」と言いながら、「夏休み」期間は気温とは関わりなく決められてしまっています。地域にもよりますが、たとえば関東地方では、7月20日から8月31日までが夏休み。比較的気温の低い地方であれば、8月25日頃に夏休みが明けるということが多いようです。夏休みが短い分、気温の低い冬休みが長かったりはするのですが。最近は、全国的に気温が高くなっています。5月中旬から最高気温が30度を超える地方もありますし、9月一杯残暑が続くところも多くなってきました。暑くないのに夏休みだから休む、暑いけれど夏休みではないから登校する、という考え方は、機械的過ぎるように思います。
先年のコロナ禍は、ウイルス感染に対する私たちの意識を変えるきっかけになりました。もちろん業種にもよりますが、リモートワークへの理解も浸透し、たとえば学校でも、健康観察のために出校停止としている期間、リモートにより授業を行ったり、課題を与えて学習させるようにしたり、児童生徒の学力低下を防ぐために、さまざまな方策が取られるようになりました。
極論にして暴論ではありますが、「暑くなることがわかっている時に、無理をして学校に行かなくてもいい」としたらどうでしょう。地震や津波、洪水などと同列に扱うことはできないかもしれませんが、異常高温も一種の天災地変には違いありません。リモート授業の方法・内容を精査することにより、児童生徒の学力低下をある程度までは防げるのではないでしょうか。登校するか自主休校とするかについては、各家庭の判断に任せれば良いと思います。
夏休みに「宿題」は必要か?
「夏休み」があるという前提で考えてみましょう。
「夏休みの宿題」の意義は、児童生徒の生活が乱れたり、学力が低下したりすることを防ぐことを目的に、一定の学習をある程度強制的に課すというものでした。
宿題は「生活の乱れ防止」の役に立つか?
夏休みに宿題を出すという学校では、休み前に、「夏休みの計画」「日課表」のようなものを作成させることが多いようです。「朝何時に起きて~」「ラジオ体操に行って~」「アサガオを観察して~」というようなやつです。多くの学校では「朝の涼しいうちに勉強しましょう」などと勧められるようですね。
小学校などでは、計画通りに生活できたかどうか、日記その他で確認することもあります。
計画通りの生活が送れる人は良いですが、おそらくたいていはうまく行かず、日記はそのあたりをうまくごまかして書く、というような経験をお持ちの方もきっと多いことでしょう。
宿題本体はどうでしょう。
たとえば漢字ドリル、算数ドリルなど、休み期間中に「やらなければならない」ものが決まっていた場合には、ある程度の拘束力はあると思います。ですが、毎日決まった時間に学習できるかと言えば決してそんなことはなく、夏休み最終日に家族総出であわててかたづけるとか、漫画やアニメではおなじみのシーンですし、それとは逆に夏休みの初め1週間くらいで終わらせてしまうとか、そんな子どももきっといるはずです。
「生活の乱れ防止」という点で見ると、ある程度以上の実効性は期待できないような気がします。
夏休みの必要性とも関わってくるのですが、両親ともに外仕事を持っているご家庭の場合、学校があるおかげで生活リズムが保たれているという部分もあると思います。そのようなご家庭では、子どもが休みだからと言って仕事を休むことができるわけでは当然なく、子どもの生活の管理など、仕事のある日中はしていられないというのが正直なところではないでしょうか。
宿題は「学力低下防止」の役に立つか?
「学力」というものが具体的には何を指すのか、という問題についてはひとまず脇によけておきます。
先ほどの漢字ドリル、算数ドリルなどであれば、単純に漢字の読み書きや計算など、学校の授業で習ったことの復習、反復を行うことにより、基礎的な学力の維持・定着の役には立つと言えるかもしれません。
また、決まった時間に決まった学習が行われるならば、学習習慣も維持されると思います。
ですが、「決まった時間」に「決まった学習」がなされないならば、それはただの作業であり、その効果もやはり限定的に考えなければなりません。たとえば夏休み初めの一週間で与えられた宿題を片付けてしまったとしたら、残り約一ヶ月は「学習しない」という選択をしても、子どもにとっては、周囲からとやかく言われる筋合いはないからです。
そして「学力」として要求されるのが、はたして単に「漢字力」「計算力」だけであって良いのかという問題が、やはり未解決です。たとえば私が小学生だった時、アサガオやアゲハチョウの幼虫の観察などをしたこともありますが、アサガオがそのように生長するのは、観察をしていようがいまいが、結局は変わりません。「観察」であれば数週間はかかるかもしれませんが、図鑑を見たりインターネットで検索したりすれば、30分くらいで終わります。
まとめ
7月31日(水)AERA dot.により「小学校の夏休みの宿題」についての記事が配信されました。「夏休み」「宿題」の教育的な意味については、「子どもの立場」「保護者の立場」「学校・先生の立場」から、それぞれいろいろな意見がありそうです。記事を読んで私がいちばん気になったのは、実は紹介されていた小学校の先生のXへのポストの中で、「働き方改革のため」と言われている部分でした。お勤めされている小学校で、少なくともその先生にとっては、宿題を計画して与え、回収し、評価するという一連のお仕事が、教育活動全体の中では重要度がそれほど高くない、省かれたとしても特段大きな問題とはならない部分なのだな、と思ったのです。決して責めているわけではありません。これまで十分わかっているつもりでいたことですが、学校の先生の仕事の大変さに、改めて気づかされた思いです。「宿題改革の試み」について、その結果が明らかになるには半年、一年といった期間が必要になると思います。学校の先生だけでなく、子どもたちや保護者の意見にも耳を傾けながら、その影響に注目していく必要があるでしょう。
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